幼少期~高校時代まで
~北海道内をふらふらと・・・~

札幌で生まれました。
父親が転勤族のため、幼稚園・小学校・中学校・高校と、すべて違う町の学校に通っていました。

環境が変わっても、特にいじめられることもなく、友達と仲良く良い時間を過ごせたのは幸せだったと思います。

ゲームをしたり、学校でダラダラしていたり、なんとなく生きていました。

大学も特に深く考えることもなく、「家から一番近い」「国立大学だから家計にやさしい」「高校の近くにあって、部活でよく走っていた」「そもそも合格可能性E判定だから考えても意味ない」などという安易な理由ばかりで受験先を決め、奇跡的に合格しました。

一番お金がかからない選択肢だったので、両親は喜んでいましたね。

大学生時代
~ダラダラながらも、道を大きく外すのも違うかなと思っていた~

「高校のとなりの大学」「友達もたくさんいる」といった環境で、新鮮味や環境の変化がなかったこともあり、大学生初日からダレてしまいました。

団体行動が苦手ということもあり、入学式にも出席しないありさまでした。
授業にもあまり出席しておらず、単位もギリギリでした。

ただ、留学とか特別な目的もないのに、ダブるのは人として違うかなと思い、首の皮1枚・留年すれすれのところで踏みとどまり、なんとか4年間で卒業しました。

あと、将来何をしたいというのはなかったのですが、普通に授業に出て、コンビニや塾講師のバイトをしているだけでは、他の学生と差別化できないよな、と漠然と考え、授業以外で他大学のフィールドワークに参加したり、投資の勉強をしたりしていました。  

就職活動
~考えてはいたが、方向性を間違っていた~

大学3年生の冬頃から、就職活動が始まりました。
就職氷河期真っただ中ということもあり、大企業か公務員になりたいという人が多かったと思います。

自分も、周りの友達と同様に大学で用意してもらっている「大学内説明会→面接」の就職活動のレールに乗っていきました。

この時は、色々と考えてはいたのですが、今思うと「考える方向性」を間違っていたと思います。

具体的には、「将来的にどのような職種につけば自分の成長につながるか」などといった将来の自分戦略を考えずに、「どうしたら、面接を勝ち残れるのか」といったテクニック面から入っていました。

結果、複数社から内定をもらうことになるのですが、ようやくここで考えることになります、「自分は、将来どうしたいのだろう」と。

結局、「北海道の平凡な学生である自分が、大企業で勝ち残れるとも思えないから、内定をもらった中で一番内定者数が少ないところに行こう」と考えました。

こうして、東京駅周辺にある金融機関に就職することになりました。

社会人時代
~はじめての東京~

金融機関に勤務した人は、大抵は営業店の事務などから入る場合が多いのですが、自分は本部配属からスタートしました。

はじめての東京暮らしです。

いきなりの本部勤務は、財務・法務・金融機関経営の基礎といった知識面だけではなく、社会人としてのマナー・基礎などもなく、ついていけなくて吐きそうでしたが、今思うと良い経験を積むことができたなと思います。

出張で色々な場所にも行くことができ、貴重な経験をさせてもらいました。

投資をはじめる
~もちろん、無知です~

投資を始めたのは、24歳くらいの時でした。

始めたきっかけは、「なんかもうかりそう」だから。
軍資金は貯金100万円。

投資対象は、株価の動きが激しい中小型株。当時は「不動産流動化」「IT」関連の株がはやっており、自分もそういった株に投資したら儲かるのかなぁ、と漠然と思い、「ダイヤモンドZAI」「日経マネー」などを読みあさりながら、デイトレやスイングとれにはげんでいました。

こんな無知の状態で、失敗する姿しか見えないのですが、結果は1年半で+20万円くらいでした。

損はしなかったのですが、もうかりもしないといった状況がしばらく続き、退屈になり投資スタンスを変更しました。

「中長期で成長が見込めそうな小型株に、信用2階建て投資」

現物約200万円、信用約400万円の2階建てのポジションをかかえたまま、転勤することになります。

転勤とリーマンショックと投資
~すべてが吹き飛ぶ~

28歳の時に人事異動がありました。
配属先は、地元の北海道支店でした。

支店の仕事にも少しずつ慣れてきた転勤から半年後、「リーマンショック」が起こります。
会社の業績も、自分の投資ポジションも大きなダメージを受けました。

会社は、数千億円規模の赤字です。
自分は、当時日給1万円くらいなのに、株の含み損は1日で15万円くらい膨らむといった目も当てられない状況でした。
資産はほぼすべて吹き飛んでしまい、30万円まで激減します。

投資への意欲も萎えますが、改めて見ると株価が歴史的低水準になっていることに気付き、もう一度奮起し、資産100万円まで戻すことができました。

ぼろ負けした後で、よくもう1回投資する気になったなぁ、と今になって思います。

何はともあれ、この時28歳。
投資を始めて約4年、資産100万円からの再スタートとなりました。

今後の人生選びと不動産投資
~真剣に将来を考察~

ようやく資産運用のスタート地点に戻ってきた2008年9月、30歳も近くなり、投資だけではなく広く将来的なことも考え始めるようになっていました。

いわゆるポテンシャル採用での転職期が難しくなるなど、人生の選択肢も少しずつ狭まりつつあるなか、10年後どうしていたいのだろうと考えを巡らせていました。

  • ずっとこのまま、今の会社に勤務して東京暮らしなのだろうか
  • 親に何かあったときとか、どうしよう
  • ただ、北海道の企業に転職となると、待遇が格段に下がる
  • 30歳前後のこのタイミングで転職しておかないと、30代半ばでの転職はもっと厳しくなるのではないか
  • 今の仕事はやりがいもあり、続けていたい
  • でも、やっぱり、将来的には札幌で暮らしたい

人生の一大事でもあり、頭の中で堂々巡りが続き、結論が出せずモヤモヤが続きます。

色々考えたのですが、最終的に出した結論は、「すぐにやめるとかではなく、将来、札幌に帰ってくることができる選択肢を作っていく!」でした。

具体的には、今の仕事をつづけながら投資で副収入を確保し、将来「Uターン転職により給料が下がったとしても、投資からの収入で補完しながら生活する」という選択肢を作ることにしました。

次に、自分の将来像をかなえられるような、投資対象先を考えていきました。

  • 安定した収入を生むこと
  • 生活を補完できる規模(数百万円単位)の収入を生むこと
  • 札幌と東京、どちらにいても行うことができること

考えていくうちに、札幌への不動産投資にたどり着きます。
最終的に、一定の収入規模を確保するという点からも、一棟物のマンション・アパートへの投資を、銀行から借入して進めることに決めました。

「将来札幌に戻る選択肢ということを考えると、札幌に不動産を買っておくというのは非常に合理的で、札幌に住んでいる今しかできない!」と、当時自分なりに納得していました。

決めてから行動するまでは早かったです。
何せ、半年後には東京に戻される可能性もあったので「自分に残されている時間は少ないんだ!!」と、無駄に自分を奮い立たせていました。

結局、決断してから2年半札幌にいたのですが、その間にマンション3棟、アパート2棟を購入しました。

ただ、借金も膨らみ、東京転勤の辞令が出た時は、借金約3億円・預金200万円という、かなり財務面で無理した状況になっていました。

東京転勤
~仕事も楽しく、投資も軌道に乗り始める~

東京に帰った後は、地域活性化や地方創生を支援する仕事を担当することになりました。
面白いテーマ、全国出張の仕事も多く、充実したサラリーマン人生を送っていました。

仕事が多忙であり、東京在住では何かと手間もかかるため、札幌の新規の不動産購入は見送っていました。

そのため、勤務先の給料で生活しながら投資収益が積みあがっていく状況になり、3年後には、預金2,500万円を超えました。

この余裕資金をどうしようかと考えた時、再度有価証券での運用に挑戦することにしました。
投資手法も再考し、「安定したストック収益を上げる小型株への現物投資」へと切り替えました。

具体的には。「北の達人コーポレーション」と「システム・ディ」という2社に投資しました。
結果としては、「北の達人」は1.5倍、「システム・ディ」は1.8倍で利益確定、現預金は4,000万円を超えました。

ただ、「北の達人」は売却後に株価10倍、「システム・ディ」は3.5倍になりました。
利益を得ることはできたものの、早めに利益確定してしまった後の株価爆上げを見ながら、頭痛が止まらなかったです。

「なんとかしてよ、SBI、SBI・・・」みたいにトイレで呟いていたのは記憶にあります。
もちろん、どうにもなりません。

銘柄選定だけではなく売買のタイミングも重要で、株式は本当に難しいです。
良い教訓になりました。

転職とUターン
~決断するって難しい~

金融機関で地域活性化・地方創生の仕事を担当してはや4年、そろそろ人事異動が出る時期にさしかかってきました。

年齢も37歳、子供も間もなく小学生という、そろそろ今後の人生を決めなくてはいけない時期です。

しかし、30代後半で、家族持ちの人間が大きく進路を変えるというのは、決断に途方もないエネルギーがかかることを痛感しました。

とにかく、やめたいと思う自分とやめたくないと思う自分との間で、葛藤が続きます。

~やめたくない自分~

  • 現在の仕事にそこまで不満がない。
  • 年収1,000万円位もらっているし、この給与水準は恵まれているはず。
  • 環境が変わってもし失敗したら、負け組になるのではないか。
  • 30代後半というタイミングで転職している人間が周囲にいない。
  • あと5年くらい現在の形で働けば、給料&投資収益で家計が非常に強固になる。
  • とにかく、これまでのレールから外れるのが怖い

~やめたい自分~

  • ここでやめないと、転職の機会が激減する。
  • 子供が小学校に入ると、子供のコミュニティができるため、転校の負担が大きくなる。
  • 親戚もいない中、妻のワンオペ育児は大変。地元に帰って負担軽減を。
  • 孫が小さいうちに、じじ・ばばと触れ合う時間を増やしたい。
  • そもそも投資収益があるのだから、給与が下がっても、計算上家計は回るはず。

そこで、まずは自分の転職市場での価値を図ろうと、東京・札幌、双方の転職エージェントに登録して転職活動を行いました。

当時、金融機関に勤務しながら地方創生等の仕事に取り組んでいる人が非常に少なかったため、結構ピンポイントのニーズにはまりました。
結果として、札幌の企業から1社、東京の企業3社から内定をいただくことができました。

特に東京の会社は、仕事内容がより魅力的なオファー、給与アップにつながるオファーなど、予想外の好条件をいただきました。

非常にありがたい反面、悩みは深まります。

「37歳という年齢からも、おそらく市場価値は今がピークで今後下がる一方、ここでミスするとリカバリーがきかない」と気負っていた部分もありました。

Uターンにより、これまで自分なりに積み上げてきたキャリアを終わらせてしまうことへの踏ん切りもついていなかったのだと思います。

妻いわく、自分でも気づかないうちに変なひとりごとを発していることも結構あったみたいです。

内定も出ていたので、これ以上悩むわけにもいきません。
最終的には、家族優先で札幌にUターンすることにしました。

最後の最後までドタバタしていた東京生活で、家族には迷惑をかけたと思います。

転職後の札幌での暮らし
~自分の価値観が変わりはじめる~ 

Uターン後は、札幌のコンサルティング会社で働き始めます。

サラリーマンとしての給与は、1,000万円から650万円に減少しました。
30%以上の減少です。給与収入のみであれば、生活は楽ではなかったと思います。

しかし、自分は投資収入も含めた収入総額でみると、5,000万円から4,650万円の10%弱の減少ですんだため、そこまで大きな影響はありませんでした。

それ以上に、収入に占める給与の割合が小さくなり「お給料をもらうために投入している労働時間の多さ」に、違和感を持つようになりました。
特に、コンサルタント職は、自分が稼働して収入を得る仕事、つまりは「労働集約」的な働き方です。

当然、転職前から分かっていたことではあるのですが、投資によるストック収入が大半となっていた自分にはどうしてもなじみません。
「サラリーマン」という仕組みが合わなくなってきていたのかもしれません。

転職して半年後、サラリーマンを卒業しました。

今回は、以前ほど「サラリーマンを一度辞めたら戻れなくなるかもしれない」という不安はありませんでした。
それよりも、収入の柱である投資周りの精度を上げていった方が、将来の安定につながると考えるようになり、精神的に少し変化しているのかなと感じるようになりました。

セミリタイアと現在
~10年後を見据えて~

セミリタイア後は、時間の余裕ができたため、平日に行われる子供の参観日などに参加できるようになるなど、家族との時間が増えました。

仕事面では、40歳になった現在は、50歳に向けた今後10年の計画作りに取り組んでいます。
また、職業訓練学校に行って建築の勉強を体系的に学びなおすなど、知識面・実務面でのレベルアップを図っています。

こうした「これまで・これからの取組み」を体系的に整理し、公開したほうがサボらずにフィードバックも色々ともらえるのではないかと思い、ブログを始めることにしました。

一方で、前職の後輩や銀行の融資担当の方などとお話ししていると、もう少し将来に向けて準備しておくことで、5年・10年後を変えることができるのに、もったいないなぁというモヤモヤした思いを持つようにもなりました。
時間を重ねてしまうほど、身動きがとりにくくなってしまうにもかかわらず、「いいですね」「自分もやってみたいですね」といいながら、動かない人も多いです。

また、「パワハラ」のような話や、「転職したものの結局つらい状況になっている」みたいな後輩の話も耳にするようになりました。

聞いてて後ろ向きな話が多いので、そうした後輩の心に何か刺さってくれたらうれしいなぁと思い、後輩に向けて発信します。